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YONEZAWAORI CAP : 01【数量限定受注生産】

23,800円

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YONEZAWA ORI CAP 【4個限定受注生産】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明治17年創業 紅花染め・米沢織を染色から製織まで一貫生産している工房、 よねざわ新田様の製作したCAP。 紅花染めした糸を使用した高級帯生地。 とにかく美しい。と思える織り。 様々な糸で繊細に構成されたデザインが 華やかさと上品さがにじみ出てくるような印象。 柔らかな光沢感がまた絶妙です。 山形県花に指定されている紅花。 紅花染めと言えば、新田さんと言われる理由は三代目の紅花染め研究にありました。 明治時代に海外から化学染料の輸入や普及、様々な時代背景が重なり、もともと高価であった紅花染めは、一層出回る事が無くなったと言います。昭和時代になり、紅花染めを自ら研究し、復興したのが三代目新田さん。現在は、その伝統や精神を五代目源太郎さんが受け継いでおります。 実際伺いして、お話をきかせて頂き、歴史を誇りに、ルーツを探り、研究し、究極に美しい物、新しい物を作るというクリエイティビティを感じました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ Size: Sサイズ:55cm~57cm(女性やお子様、頭回りの小さい男性) MLサイズ:57cm~60cm(男性普通サイズ) XLサイズ:60cm~63cm(男性大きめサイズ:深め) 3Lサイズ:63cm~66cm(男性さらに大きめサイズ:深め) 絹:SILK ※本製品は、紅花染と合成染料を併用して染色しております MADE BY W@NDERFABRIC HANDMADE MADE IN JAPAN ☆こちらの商品はご注文頂いてから約1週間~2週間で製作発送予定です。 ☆写真はイメージとなります。同じ生地でも柄合わせが多少変わります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新田家 米沢藩主・上杉鷹山公によって絹織物は始められた。 武士の家新田家も五代続く機屋である。 米沢新田家初代が上杉景勝公と共に越後から転封となり米沢に移り住み、 十六代目新田留次郎が機屋初代として明治17年に新田を創業。 品評会にて数々の賞を授けられ、米沢袴地といえば新田とまで言われるようになった。 二代目熊雄は、絽袴などの新製品を開拓して行った。 三代目秀次・富子と紅花の宿命的な出会いは、昭和38年に始まる。 以来、幻の花と言われた紅花にとり憑かれ、ひたすら自ら納得のいく色を出すために染め続けていたのである。 四代目英行は、作品づくりにこだわりを持ち、染・織 一貫生産化を進めた。 冬の米沢。紅花染めは、寒さの最も厳しい真冬に染める色が、美しいという。 新田家のたゆまざる研究と努力から生まれた織物は、たとえようのない重ね染めによる百色の色相をただよわせる。 現在五代目源太郎もその精神を受け継ぎ、ものづくりに励んでいる。 https://nitta-yonezawa.com/history ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新田の紅花染め 山形県花に指定されている「紅花」。 現在も昔ながらの技法にこだわり使用しております。 シルクロードの行路にて日本までやってきたと伝えられる紅花。 江戸時代、全国紅花生産出荷量は六割以上にもなる最上紅花。 当時は山形では染色されることのない換金物として扱われていました。 明治時代になり、化学染料の輸入や国策等で衰退してしまいます。 しかし、様々な方の協力もあり三代目秀次・富子が紅花紬を発表しました。 そのことで、評価も受けつつ全国へと広がります。 現在も歴史のつながりに感謝し、山形産最上紅花にこだわり物作りに励んでおります。 https://nitta-yonezawa.com/benibana ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」上杉鷹山 上杉鷹山(ようざん)とは、 江戸時代・第9代米沢藩主。 破産状態にあった米沢藩の財政を様々な革新的取り組みで立て直した人物。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 米沢上杉藩はかつて120万石の強大藩だったが、 関ケ原の戦い等の処分などで幕府から領地を大幅に減らされ30万石と、領地は4分の1となりました。 (その後8分の1となります) その際に家臣を解雇しなかったため、120万石時の人件費が財政を急激に圧迫していきました。 それでも前代藩主は、政治に興味が無く、贅沢な暮らしを続けました。 冷害や洪水による凶作等も重なり藩は多額の負債を抱えるようになりました。 農村は餓えや一家離散、逃亡と極めて苦しい状態で破産寸前で、幕府へ領藩を返上する事まで検討していました。 そんな中、上杉鷹山は17歳で第9代米沢藩主となりました。 上杉鷹山が行った改革は自ら率先して質素倹約を行い、役人の人員を減らすなど経費を削減し、 民のために働く事を掲げ、農耕を重視するよう働きかけました。 刀を置き、クワを持ち、新田開発に取り組む武士も出てきました。 ”民は藩の私物ではない。民のために行動するのが藩である”というような心得と共に、 農政改革・産業の振興・利水事業・学問・飢饉対策・質素倹約など様々な改革を行いました。 その改革には何度も不満や反発がありましたが、上杉家としての本当の正義を摸索し律先し、 貧しく困っている村人を救うことが出来ないものかという心で改革を行っていきました。 長い年月をかけ、上杉鷹山は財政の立て直しというものを超えて良質な社会を作りだす事に成功しました。 これはまさに民主主義を掲げたものだと言われており、 第35代のアメリカ元大統領 ジョンFケネディが最も尊敬する日本人として上杉鷹山の名前をあげております。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ なぜ上杉鷹山か。 上杉鷹山が行った様々な改革の中に、その原点となる米沢織があります。 お城の中でも律先して桑の栽培と養蚕をおこなっていきました。 技術者を招き武士の婦女子に機織を習得させたことが米沢織業の発祥とされています。 青苧(麻)を原料とした麻織物から 麻絹交織、養蚕業を基礎とした絹織物製造に移行し、 米沢織として日本全国に知られる事となりました。 上杉鷹山が米沢織の原点を作り、その心と共に米沢の人々の努力があるからこそ、 現在も米沢織は高級素材として日本国内外で着物からファッションに至るまで使用され続けています。 こうした時代背景と共に米沢織が始まり、 現在も米沢の人々はその想いと共に米沢織を織り続けています。

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